「普通はこうする」の普通は、いったい誰が決めたのか

「普通は、そうするでしょ」

日常生活で、こんな言葉を耳にすることがあります。

会社でも、家庭でも、友人同士の会話でも。実に幅広い場所で活躍する言葉です。

ところが、よく考えてみると不思議なんですよね。

その「普通」とは、いったい誰が決めたものなのでしょうか。

法律で決まっているわけでもなければ、どこかに明文化されたルールがあるわけでもありません。

それでも「普通はこうする」と言われると、なぜか反論する側に説明責任が生まれてしまう。

今回は、そんな便利すぎる言葉「普通」について、少し意地の悪い角度から考えてみたいと思います。

「普通」という言葉ほど、説明を省略できるものはない

例えば、職場でこんなやり取りがあったとします。

「この資料、どうして昨日までに提出しなかったの?」

「締め切りは金曜日だと聞いていたのですが」

「いや、普通は前日までに出すでしょ」

出ました。普通です。

最初から「木曜日までに提出してください」と伝えておけば済んだ話ですが、なぜか提出しなかった側が悪いことになっています。

しかも、ここで「その普通は誰が決めたんですか」と聞き返そうものなら、面倒な人間という評価まで付いてくる。

便利な言葉ですよね。

本来なら、自分の考えを相手に伝えるには理由が必要です。

しかし「普通」を持ち出せば、その理由を説明する手間が省けます。

「私はこう考えています」と言えば個人的な意見ですが、「普通はこうです」と言えば、世の中全体が自分の味方をしているように聞こえるからです。

たった二文字で、個人的な価値観を社会の常識にまで格上げできてしまう。

考えてみれば、ずいぶんお得な言葉です。

「みんなそうしている」の、みんなは何人なのか

「普通」とよく似た言葉に、「みんな」があります。

子どもの頃、欲しいものがあると「みんな持っているから買って」と親にお願いした経験がある人もいるでしょう。

ところが、親から「みんなって誰?」と問い詰められると、途端に人数が減ってしまう。

クラス全員かと思いきや、実際には仲の良い友達が二人持っているだけだったりします。

大人になっても、この仕組みはあまり変わりません。

「みんな残業しているよ」

「普通、飲み会には参加するものでしょ」

「この年齢なら、これくらい貯金していて当然だよね」

よくよく話を聞いてみると、発言した本人の周囲ではそうなのかもしれませんが、世間全体の話とは限りません。

それでも「みんな」や「普通」という言葉を使うことで、自分の意見に説得力を持たせようとする。

面白いのは、自分が多数派であることを確認していなくても、多数派の代表として話せてしまうところです。

選挙もしていないのに、いつの間にか世間の代表者になっているわけです。

もちろん、本当に多くの人が共通して行っている習慣もあります。ただ、身近な数人の行動と、社会全体の常識は別の話でしょう。

「みんなが言っている」という言葉を聞いたら、ときには「具体的には誰だろう」と考えてみるのも面白いかもしれません。

他人の普通は、自分にとっての非常識かもしれない

厄介なのは、「普通」という言葉が必ずしも悪意から使われるわけではないことです。

本人は、心の底からそれが当たり前だと思っている場合もあります。

例えば、食事の際に料理を少しずつ取り分ける家庭もあれば、最初から一人ずつ盛り付ける家庭もあります。

どちらの家庭で育ったかによって、食卓での「普通」は変わるでしょう。

自分の家庭では当たり前だったことが、結婚して初めて当たり前ではなかったと気づく。

夫婦喧嘩の原因には、こんな小さな常識の食い違いもあるのではないでしょうか。

「普通、お風呂に入ったらすぐ寝るでしょ」

「普通、休みの日くらいゆっくり起きるでしょ」

お互いが普通を主張しているのですから、話がまとまらないのも無理はありません。

しかも、どちらも自分が正しいと思っている。

つまり、普通と普通が衝突しているわけです。

こうなると、どちらが正しいかを争うよりも、お互いの生活習慣が違うことを認めた方が早い場合もあります。

ただし、実際の夫婦喧嘩で「君の普通と僕の普通が違うだけだね」などと冷静に分析すると、余計に怒られる可能性もあります。

正論にも、使いどころというものがあるのでしょう。

「普通」を捨てる必要はない。ただし、疑う習慣は持ちたい

ここまで「普通」という言葉について、少々意地の悪い話をしてきました。

だからといって、この言葉を使わない方がよいと言いたいわけではありません。

私たちが生活するうえで、共通の常識や習慣は必要です。

毎回すべての行動について一から説明していたら、仕事も日常生活も面倒なものになってしまいます。

問題は、自分の普通が、他人にとっても普通だと思い込んでしまうことです。

「普通はこうする」と言いたくなったとき、少しだけ言い方を変えてみる。

「私はこうした方がいいと思う」

「うちの会社では、こういう決まりになっている」

「このやり方の方が、作業がスムーズに進むと思う」

これなら、相手も具体的な理由について話し合うことができます。

「普通」という言葉で説明を省略するよりも、自分の考えを自分の言葉で伝える。

簡単なようで、案外難しいことなのかもしれません。

まとめ|あなたの普通は、誰かの普通ではない

「普通」という言葉は、物事を簡潔に説明できる便利な表現です。

その一方で、自分の価値観を世間の常識であるかのように見せてしまうこともあります。

自分にとって当たり前のことが、他人にとっても当たり前とは限りません。

そして、他人の普通を無理に受け入れる必要もありません。

大切なのは、自分が何を当たり前だと思っているのか、その理由をときどき確かめてみることではないでしょうか。

ちなみに、「普通の人がいい」という恋愛相手への希望をよく耳にします。

ところが、その普通の条件を一つずつ聞いていくと、容姿、収入、性格、趣味、生活習慣など、なかなか厳しい条件が並ぶことがあります。

普通の人を探していたはずが、いつの間にか理想の人を探している。

どうやら人間にとって「普通」とは、自分の都合に合わせて伸び縮みする、ずいぶん便利な言葉のようです。

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